コンテナスロープ/バンステージ/バンニング

コンテナスロープのインターアクション

とても強い“小さな会社”のお話 ⑧

◆女性事務員さんに反撃されました(2人目)

 

もう一人、強硬に抵抗された事務員さんがいました。

本社ビルの女性事務員さん。

ベテランさんです。仕事ぶりは超キッチリです。

 

まさに経理向きのプロフェッショナルですが、何しろパソコンがない。

こちらは、会長の机の上にすらパソコンを飾っていませんでした。

本社も、そこそこ仕事がありましたから、すべて手書きで起票して、それを会計事務所にファックスで送り、会計事務所で経理ソフトに入力していました。

出力帳票は2ケ月先に事務所に届いていました。

「これじゃ、管理できないじゃん💦」と思っていましたが、何しろ本社は本社。

会長が厳然といらっしゃいます。社長もなかなか足を運ばない。

博多事務所に会長から社長に電話があったら、社長はほぼ直立不動で電話対応をしていました。

父親と息子。それだけでは済まない関係が垣間見えます。

同族企業の厳しさを認識させられました。

私は、事務手続き上どうしても本社に行くことがあります。

会長は話し相手が来て喜んでくれるのか、楽しい昔話を沢山してくれました。

私は、よせばいいのに「パソコンを入れませんか?」と女性の方に提案しました。

私より2歳年上の方でした。

パソコンの便利さ。弥生会計を導入するとリアルタイムに管理が可能になる。

等々パソコン導入のメリットを説明しました。

ほどなくして、大阪事務所の社長から携帯電話に連絡が入りました。

「本社の女性が文句言ってるぞ。自分たちの仕事を盗られそうだと言ってる。あまり怒らすな!」

この頃までには、社長の言い方から、社長の本意が分かるようになっていたので、「申し訳ありませんでした。文句が出ないようにうまくやります」と伝えました。

「おう。そうしろ」でした。

パソコンの便利さと楽しさを繰り返し伝え、「社長も…何となく…そうして欲しいみたいですよ」と伝え、事務員さんと一緒に仲良くパソコンを買いに行きました。

それから3ケ月。彼女は誰よりもパソコンのプロになっていました。

 

そんな頃、いつものように賃貸ビル回りをしていたら、社長から携帯に電話が入りました。

「ちょっと、社長になってくれ」

えっ!😲😲😲

 

 

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑦

◆女性事務員さんに反撃されました(1人目)

 

賃貸ビルの仕事は、なにしろ41棟1000室と分量が多いです。

しかも、繁華街のど真ん中の商業ビルからワンルームマンション、ファミリーマンションと多種多様です。

管理会社を1社入れましたが、この管理会社も色々事情があり素人同然の会社。

そんな中、事務の女性は一人で事務業務に奮闘していました。

 

もう一人の女性は新人さんですから、教えるヒマもないくらいでした。

毎日夜の10時、11時まで働いていました。

それを見かねた社長から“残業禁止令”が出されました。

なにしろ社長命令です。絶対です。

彼女は5時に一旦、「失礼しま~す」と言って退社し、社長や他の従業員が帰ったのを見計らって再出社していました。

幸い自宅が近くでしたから可能でしたが、社長も薄々分かっていたと思います。

このままじゃマズいな。

徹底的にやり方を変えることにしました。

こちらの事務所にはパソコンが入っており、弥生会計ソフトもありました。

管理会社から送られてくる管理表や入金票などを全部手書きで起票して入力していました。

管理表はエクセルで作成されていましたから、そのデータを利用して伝票を自動で起票できるようにしました。

さらに管理表にチェックポイントを付け加え、滞納や過入金が一目でわかるようにしました。

最初、その女性からものすごい抵抗に遭いました。

慣れ親しんだ業務の進め方を変えるのには抵抗があります。もちろんです。

何とか納得してもらって、併せてそれ以外の手作業の部分を大幅に変更しました。

おかげさまで、毎日定時に帰れるようになりました。

退社後再度(内緒で)出社するわけですから時間外勤務手当も発生していませんでしたので、結果的には喜ばれました。

とても強い“小さな会社”のお話 ⑥

◆最高の番頭Tさんのこと

 

Y顧問の下で、腹いっぱいビル賃貸管理のノウハウを「奪い取って」いました。

大手ゼネコンを辞めてほぼ1年が経過していました。仕事に飢えていました。

腹いっぱい仕事をしました。土曜も日曜も関係なしです。

月に1回大阪への帰省を許されていましたが、それ以外は一日も休むことなく働きました。

Y顧問に教えてもらいながら、現場を一緒に歩き回り、仕事が終われば焼き鳥屋で呑みながら、その日の「復習」が始まります。

仕事に対してはめちゃくちゃ厳しい顧問でしたが、呑みに行くと案外お茶目なところも垣間見えて最高に楽しい方でした。

二次会は中州のスナックでカラオケ大会♪

こちらは、独り身の気楽さ。楽しい毎日でした。

 

社長は毎週木曜日の朝、大阪から福岡の事務所に入ります。

必ず番頭格のTさんがお供です。

このTさん、私より10歳下ですからこの時36歳。

イメージは明石家さんまです。とにかく、口八丁手八丁。

社長のいる所、常にTさんありです。

社長とTさんの関係は、社長と従業員でもあり、親分と子分でもあり、父親と息子のようでもあり、一心同体と言ってもいいような間柄でした。

以降8年余りの付き合いでしたが、それまでにも、その後、今に至るまでも、最高の番頭役です。

驚くほどの地頭の良さ。従業員全員に対する目配せと配慮。

社内のあらゆる情報はTさんを通じて社長に漏れなく伝わりました。

呑んでも楽しいエンターテイナーです。

とんでもない人材がいました。

“小さな会社”恐るべしです。

 

ある日Tさんが私に内緒話を。

「社長がね『今度、採用した奴は、当たりじゃった!拾いもんやったなぁ。』と言ってましたよ。良かったね😙」

 

ほどなくして社長から。

「お前の年収を150万円上げてやる!」

😲😲😲

「Sよりお前の方が少ないのはおかしい。Sと同額にしてやる」

ひゃ、ひゃくごじゅうまんえん!

“小さな会社”ホントに恐るべしでした。

 

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑤

◆鬼のY顧問

 

福岡支店に移って優雅な単身赴任。いわゆる博チョンと言うやつです。

事務所は博多駅前です。回りは呑み屋だらけ。

単身赴任寮は天神です。回りは呑み屋だらけ。

天下有数の歓楽街の中州まで10分かかりません。

なんと優雅な独身暮らし…😙

と思っていましたが、Y顧問の登場によって優雅さは大幅に縮小されました。

 

この方、取引先の銀行の紹介で顧問になりました。

高卒でありながら、その銀行で珍しく支店長にまで出世しました。

しかし、恐らく、その厳しすぎる性格の故か?

50歳台半ばで片道切符で出向になりました。

出向先は不動産賃貸業が主要な業種でした。

Yさんは、まるで素人。

人一倍、動き回り、働き回り、さらに勉強しまくりました。

ビル管理の要諦は「掃除」にあり。

作業服姿でモップを抱え中州を歩き回っていました。

かつての取引先の社長さんと会うこともありました。

支店長時代はYさんが接待を受けて、床柱を背にしていました。

普通ならば「カッコ悪い😢」と思うところが、Yさんは「わっはっは😙動き回るから元気じゃ!」と言っていたそうです。

しかし、多分、また、その厳しい性格ゆえに定年とともに“お役御免”となりました。

遊んでいたところを「取引先の会社が一気に40棟のビルを所有して四苦八苦しています。なんとか指導してもらえませんか?」とのお声がかかりました。

一方我が社側には「ひとり、ビル管理のプロがいるのですが…」とメインバンクから。

社長は「ほう。有り難いなぁ」

「しかし、何というか、その、あの、性格的に偏屈なところがあって、なかなか大変ですが…💦」

社長「かまわん、かまわん、そのくらいの人の方が有り難い😚」

そこで、顧問としてお招きしたところ、「そのくらい」をはるかに超える厳しさでした💦

このビル賃貸業のために採用されたのが、半年前に入ったSさんでしたが、何しろY顧問の厳しさに耐えがたく、色々理由をつけては逃げ回っていました。

そのこともあり、大阪で「遊んでいた」私に白羽の矢が立ったわけです。

社長は私に「Y顧問のスキルを全部奪い取ってしまえ!」と指示しました。

初めてY顧問に会った時、そのまま素直に伝えました。

「社長から、Y顧問のスキルを全部奪い取ってしまうようにと命令されました」

Y顧問は「なにぃ!俺のスキルを全部奪い取れだとぉ🤬…よ~し、奪えるもんなら奪ってみろ!」

こうして、賃貸ビル管理Y学校がスタートしました。

 

最高の先生で、最高の講義内容でした😚

 

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ④

◆また福岡にUターン💦

 

大阪支店での仕事がスタートしました。

得意な経理業務。よし頑張るぞ!

 

Uさんは、ひと回り年上の方で、最高に良い人柄でした。

「私の仕事を全部やってもらいますから頑張ってください」

(よし!実力のほどを見せてやる!)

 

と、思ったけど困ったことが発生。

Uさんの1ケ月の仕事が、1週間もあればみんな終わってしまう。

その前に、この事務所、パソコンが無い😲

若いN君が自前のパソコンを持っているくらいで、事務所にパソコンが無い!

Uさんは、請求書や計算書を電卓片手にワープロで作っている。

今から20年くらい前のことだけど、ほぼ全ての会社ではパソコンで仕事をやっていた。

社長いわく「パソコンなんて、仕事しているか遊んでいるか分からん!そんなもんは不要じゃ!」

そういう自分のデスクには立派なパソコンが飾られている(使われている形跡はないが…)

仕方ないので、自宅からパソコンを持参して、Uさんから引き継いだ仕事をやると、1週間ですべて終わってしまう。

 

あとの4週間近くは、やることが無い😢

仕方なく、デスクでやることもなく時間を潰していたら、社長室から社長と番頭のTさんの話声が漏れてくる。

「あいつ、全然仕事をせずに遊んでいるようじゃが。どうしたもんじゃろ?」

Tさんから提案が。

「福岡支店のSさんが、1人で大変みたいです。どうですか行ってもらったら?」

「ふーむ。じゃが福岡から大阪に帰ってきたばかりじゃが…」

「本人に聞いてみましょうよ」

ということで、内緒話がダダ洩れで聞こえておりました。

「はい!行きます!福岡でもどこでも行きます!」

ということで、今回はさすがに単身赴任。

ようやく仕事にありつけそうです。

 

その頃福岡支店では。

前年に、ビルを41棟バルクで購入していました。

全部で1000室です。

この会社はもともと大規模住宅地の仕事が得意。

ビル賃貸業は不得手。

それなのに一気に41棟を仕入れるなんて😲

かなり思い切ったことを実行する社長さんみたいです。

ビル管理のために採用したSさんは、ゼネコンの事務係で未経験者。

毎日の業務、ケツに火がついているとのこと。

というか大混乱しているとのこと。

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ③

◆ようやく給料が判明

 

勘違いヘッドハンティングのせいで、我が家は大阪から福岡に引っ越していました。

それが3ケ月でクビ😢

2週間後に新しい職を得ました。

社長から次のように告げられました。

「福岡支店では、Sを採用したばかりだから、お前には特に仕事がない。」

(じゃあなぜ採用されたの?)

「大阪支店でUさんという人が経理をやっている。あと3年で定年だから、お前はUさんの仕事を引き継げ。」

やった!😙もともと経理マンだから。

営業がイヤで辞めたのだから、経理に戻れるのは嬉しい😙

ということで、我が家はわずか3ケ月で大阪にUターン。

妻と娘は大喜び!

我が家はもともと賃貸マンション派。

それまでの大手企業の癖で家賃15万円のマンションを決めようとしていました。

社長に報告しました。すると、

「ばかもの🤬 そんな金銭感覚だから、お前のいた〇〇建設が潰れるんじゃ!」

(まだ潰れていませんが…)

なんか入社以来怒られてばかり…

そこでようやく。

「すみません…。ところで私の給料はいくらでしょうか?」

「ん?………そうやなぁ…まあ〇〇百万円にしとけ!」

(しとけ?)

ようやく給料は聞き出せましたが、それまで大手企業で貰っていた額の半分強😢

「あ、ありがとうございます…」

「ん?………何か?」

「いえいえ。ありがとうございます!」

「よし」

妻に報告すると、「いいじゃない。もっと安い所を借りよう😙」

ということで、家賃8万円のマンションから出直しです。

   

 

とても強い“小さな会社”のお話 ②

◆初めての仕事

翌週の月曜日の初出社日。

Sさんに少々お話を聞くことができました。

・社長は2代目さん。

・私より6歳年上でしたから、面接を受けた時は52歳の働き盛り。

・創業者の会長は御年88歳で、現役は退いているが、本社(北九州)には毎日出勤しているとのこと。

・ここの事務所(博多)は支店で、社長は会長がいるビルにはほとんど行かない。

・この事務所の他にも大阪支店がある。社長はもっぱら大阪にいる。自宅も関西にある。毎週木曜日と金曜日は一泊でこの支店(博多)に来る。その時には、必ず大阪からTさんという若手社員を同行する。

・木曜日の夜は、事務所の男性社員全員(と言っても3人、後に私を入れて5人)を引き連れて食事に行く。その日はほぼ夜中まで飲み会が続く。

・従業員全員で社長を定宿のホテルに連れて行き、そこでおひらき。だいたい深夜の1時か2時。

・翌日の金曜日、社長は遅めに出て来て、帰りの飛行機の時間まで、ほとんどお客様と会うかリクライニングチェアで寝ていることが多い。(故に私の面接は金曜日のはず)

 

一番大切なこと。

・この会社って、いったい何をやってるの?何を売ってるの?

不動産屋さんということが分かった。

会長は、その業界では超有名人で、その昔から大規模住宅地を開発し、売りまくって、また開発しまくって、また売りまくって…

創業から、もう少しで60年。なかなかの老舗です。

 

女性事務員は2人。

1人の方はベテランで字も上手で、なかなか頭も切れそう。

もう1人は、短大を出たばかりの新卒社員。

 

半年前に入ったSさんは大手ゼネコンのM建設からの紹介。

その先輩のNさんもM建設の土木現場の所長で現在ビル管理の担当。

M建設とは、とても長いお付き合いのようです。

 

さて、出社しても何をやっていいのか分からない。

Sさんに訊いても、「まあ、その辺のファイルを眺めていればどうですか?」

とのこと。

前社をわずか数週間前にクビになったので、ここは頑張らないと!

Sさんは依然何も教えてくれない。

まあ、まだ入社半年も経っていないので分からないのかもしれない。

とりあえずその辺のファイルを精査して、私自身の研修スケジュールを自分で作成。

ちゃんとワープロで作成しました。

企画営業部に居ましたから、こういうのは大得意!

 

その週の木曜日。

大阪から社長がやってきました。お供のTさんを引き連れて。

早速、「社長室」に入り、自ら作成した研修スケジュールを提示。

「ご覧のスケジュールでまずは仕事を覚えていきます!」

どうだ!少しは見直しただろう!

社長は、何か不思議なものを見るような感じでした。

「どアホ!こんなもん作っているヒマがあれば、現場でも回って来い!」

えっ!何?

私の初めての仕事である研修スケジュール表を引っ込めて社長室を飛び出しました。

Sさんは、「驚いたでしょ」と慰めてくれました。

 

えっ!またクビ?

ところで、私の給料はいくら?