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とても強い“小さな会社”のお話 ⑮

◆強い会社の秘訣~突破力③

 

ほぼ目の前まで来ていた数十億円の売上と数十億円!の利益が飛んでイスタンブールです😅

なんてシャレている場合ではありません。

早速、次なる買主を探さなければなりません。

しかし、姉歯事件の影響は収まる所を知りません。

姉歯設計士の奥様が可哀想に自殺したり、本人がカツラだったというようなどうでもいいことまで面白おかしく週刊誌やテレビを連日賑わかせました。

 

次の買主は、割と早く見つかりました。

売り値は数億円下がりました。が、それでも驚くほどの高値でした。

「構造設計書はありませんよ」という条件を付けていましたが、先方からは「それはいいから、ビルが潰れないよという証明をして下さいね」とのこと。

そんな証明なんていくらでもしますよ😙

「但し、行政のお墨付きを下さいね」とのこと。

「は~い😙」というわけにはいきません💦

役所がいち民間企業のために、そんなお墨付きを出すわけがないじゃないですか!

今回の売買のポイントは行政の「お墨付き」一点に絞られました。

ダメもとで市役所の担当者にお願いに行きましたが「何をバカなことを言ってるの」と言葉も態度も厳しくキッパリと拒否されました。

民間の試験機関に耐震検査を依頼していました。

これに数百万円かけていました。

売却後の経理処理のために、主だったビルの鑑定評価もすでに発注していました。

これにも数百万円。

あれやこれやでかなりの先行投資をしていました。

ビル売却がダメになれば、会社はいったいどうなるのやら…。

そして、責任者である私の立場は…。

 

さあ、ここからが“小さな会社”の突破力のスタートです!

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑭

◆強い会社の秘訣~突破力②

 

一旦方針が出ると、強い“小さな会社”のスピードはハンパではありませんでした。

何しろ、一番収益を上げているビル、つまり稼ぎ頭のビルを売ろうというのだから並大抵の決断ではありません。

ここは経営者特有の勘なのかもしれません。

社長は大学卒業の翌日から経営者としてスタートしました。

40年近くサラリーマンではなく経営者として過ごしてきました。

対象ビルの売り値次第ではビル事業全体がガタガタになる恐れもあります。

 

世の中はミニバブルの真っ最中で、国内外の企業が入り乱れて優良不動産を買い漁っていました。

この波に乗らなければなりません。

メインバンクと大手不動産会社の助力を得て入札までたどり着きました。

入札当日、3社が応札しましたが、その金額はどの会社も驚くような高値でした。

最高値の外資系企業と交渉して、買主として決めました。

売買契約書の案は、「え~~~😲」というほど分厚いものでした。

メインバンクにも手伝ってもらい必死に読みました。

その間、ここで書けないほどの様々な業務を並行して行いました。

「〇〇ビルを売るぞ!」と決めてから半年くらいの期間でした。

よくぞここまでやり遂げた!

感慨に浸っていた時、思わぬニュースが飛び込みました。

2005年11月17日、国交省により構造設計書の偽造が公表されました。

いわゆる姉歯事件と呼ばれたヤツです。

 

買主は外資系企業でした。しかも超超超有名なグローバル企業です。

早速、「構造計算書を提出して下さい」という要求が出されました。

当然です。

41棟のビルをまとめて購入していました。

設計図書などは、いちいち細かく確認せずに、どっと受け取り、どっと倉庫に投げ入れたままでした。

必死に構造計算書を探しました。

これがあるか無いかで数十億円が吹っ飛んでしまいます。

これがあるか無いかで会社の存亡がかかっています。(大げさでなく)

私、ゼネコンに居ましたから構造設計書の位置づけがよく分かっています。

竣工引き渡し後、ほとんど見られることはありません。まずないです。

数字が羅列しただけの設計書が見直されることはまずありません。

そこで何か見つかったとしても「建て直す」わけにはいきません。

そのくらい大事な構造設計ですが、竣工と同時に忘れ去られる可哀想な設計図書です。

故に、いくら探してもない!どこにもない!

私、知り合いを通じて当時(15年ほどまえ)建築を担当したゼネコンの所長さんを見つけました。直接電話しました。

「構造設計書を見つけてくれたら個人的に〇〇万円を支払う」と、今から考えたらとんでもない申し出をしました。

しかし、構造設計図書はどこにも見つかりませんでした。

その結果、今回の契約は破談になりました。

姉歯事件の発覚があと一か月遅かったら…

まあ、それはそれで大変だったでしょう。

何しろ、超超超有名な外資系企業でしたから😢

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑬

◆突破力➀

 

なぜ一挙に41棟のビルを取得したのか?

しかも一挙に100億円を軽く超える借入を行って。

そこには色々な大人の事情がありまして……。

それはそれでいいわけで、途中入社の私がとやかく言うことではありません。

入居率もまあまあで、「良かったなぁ。安定した会社で😙」と思いました。

 

ただ私はゼネコンの営業をやる前は経理マンでした。

ゼネコンつまり総合建設業において花形は技術屋さんです。

私が入社した会社では土木屋さんが幅を利かせていました。

次に建築屋さん。その次が事務屋さん。最後に営業マンでした。

事務屋さんの中では経理マンが一番上。

私はその経理マンでした。故あって営業に移り、故あって転職しました。

 

経理マンですから、少々数字には強いです。中・長期収支が組めます。

ビル事業の中・長期収支予測をすると、あと5年後くらいに破綻してしまします。

何度計算しても収支が赤くなります。

恐る恐る社長に伝えました…

「あほ!お前に言われんでも分かっとるわい!」との返事。

絶対に分かっていなかったと思います。

「まあ、一応聞いとこう。どういうこっちゃ?」

問題は減価償却でした。詳しいことは省きます。

「ほら!この年に収支がショートします。」

さすがに社長、経営者です。

私の作成した収支表の意味をすぐに呑み込みました。

しばらく考えた後…

「で、どうすればいいんじゃ?」

「ビル売りましょう!」

折から不動産はミニバブル。売るなら今!

「どのビルを売ろうというんだ?」

一番答えにくい答えを…思い切って。

「〇〇ビルを売りましょう!」

一番収益を稼いでいるビルです。

さすがにこの時ばかりは結論までいきませんでした。

 

色々な資料を作成して何度も説明しました。

すべての事態が呑み込めたようで決断は早かったです。

「よし!〇〇ビルを売れ!すべて任せたぞ!」

 

うわぁ~😲 エライことになってしまった!

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑫

◆強さの秘訣③ 頭に来ても直接叱らない。めっちゃ怒るけどね😅

 

社長の父上、つまり創業者の方は怖いことで有名でした。

というのも、その会社に入った後、前々職の営業マンに会った時のこと。

「えっ!あの有名な社長の会社か!」とびっくりしていました。

不動産業界では超有名人だったそうです。

相手が同業者だけでなく役人に対しても縮み上がるほど怖かったそうです。

会社に訪問してきた人が、2階から怒鳴り声が聞こえたので回れ右して帰っていったそうです。

私がお会いした頃は、話し好きの好々爺という感じで往時の面影は影を潜めていました。

月に1度ほど訪問すると、必ず楽しそうに昔話をしていただきました。

息子さんもその血を引いているのでもちろん怒りっぽい方のようでした。

というのも、ほとんど怒りませんが、前述のように会社や部下を守るためには、その場を逃げ出したくなるほど噴火しました。

そのような自分の体質を知っているのかどうかは分かりませんが、ほとんど従業員に怒ることはありませんでした。

そりゃ従業員だって人間ですからミスもします。

仕事の手を抜くこともあります。

それが誰の目にも、当然社長の目にも明らかなこともあります。

そんな時。

社長は番頭役のTさんを社長室に呼び入れます。

「あいつ、なんであんなことしたんや!」

「……はい……💦」(何をしでかしたのかなんて訊かない)

「お前、なんとかせい!」

「分かりました」

それから当事者と二人で話します。

事情が分からない時は、私も巻き込まれます。

この時のTさんの怖いこと怖いこと。

明石家さんまの面影はなく、横山やすしくらいの怖さです。

しかし、当事者は社長から死ぬほど怒られるのとTさんから死ぬほど怒られるのどちらかを選べと言われたら、間違いなくTさんです。

「とにかく、もうせんといて!」とTさんが伝えて終わり。

社長に「厳しく言っておきました。」と報告。

「まあ彼にも言い分はあるようですからよく聞いときました。」

「そうか。それでいい」と彼の言い分なんて聞きもしません。

これで一見落着。

後は、その人も含めて夜の食事会です。ノーサイドです。

 

一度、このようにならないケースがありました。

私より半年先輩のSさんのケースです。

どうも大企業のやり方が直らないし、紹介者の方の会社の利益を代弁するようなケースも目につき始めました。

このままではまずいことになる。

Tさんは何度か本人の本意を確かめるために話しました。

それでもなかなか改めない。SさんはSさんなりの主張があるようです。

そんなことが続いたある日。

Tさんと私が社長に呼ばれました。

「Sさんに辞めてもらえ」

社長としても苦渋の判断です。紹介者の関係にも影響します。

「はい、分かりました」とTさんはひと言。

Tさんと私の二人で引導を渡しました。

Tさんは努めて事務的に感情を入れずにことを進めました。

私は思いました。「将来Tさんから引導を渡されるのはイヤだな」

 

それから5年後、幸いなことに私はTさんではなく社長から直接引導を渡されました。😢   

とても強い“小さな会社”のお話 ⑪

◆強さの秘訣② 身内意識

 

私より半年前に入社したSさんも私も同じ方の紹介で入社しました。

その方は社長の長年のビジネス仲間でした。

Sさんは直接、私は先輩のAさん経由でしたが、直接的には同じ方による紹介でした。

ビジネス仲間ということで互いに協調関係でしたが、本格的にビル事業に乗り出した頃から互いの間のバランスが微妙になってきました。

仲良しさんとはビジネスを一緒にしない方が良いのかもしれません。

当方の利益が先方の利益にならないような事態が度々起きるようになりました。

先方の利益が当方の利益を侵害することも起き始めました。

そんな時、困るのは紹介を受けたSさんと私でした。

Sさんは、微妙に先方の利益を代弁するような発言が目立ってきました。

社長も薄々感じていましたが、先方との仲を壊したくないので、感じない「ふり」をしていました。

番頭のTさんは、その辺の状況をつかむのに長けていたので、Sさんに対する不信感を丸出しにしていました。

さらに悪いことに、SさんはY顧問がうるさくて面倒臭いので逃げ回っていました。

Y顧問は確かに厳しい人でしたが、人一倍人情に厚い方でしたので、何度もSさんを引き寄せようとしましたが、徐々に距離は広がっていきました。

Tさん、Y顧問、私が心配しているうちに、とうとう社長から「Sに辞めてもらいなさい」という指示が出てしまいました。残念な事態でした。

 

しばらくして、社長と先方との利害の谷間に私が立つという事態が発生しました。

不動産の世界ですから、一つの案件での利益額はとても大きくなります。

あるビルを売却するという話になりました。

私は当然当方の利益を優先する動きをしました。その結果、先方の利益が無くなってしまうというケースが発生しました。オールorナッシングです。

当然、先方は怒りました。激怒といってもいいくらいでした。

その会社に呼び出され、しこたま怒られました。

「キミはどっち向いて仕事をしてるんだ!せっかく紹介してやったのに、恩義を感じないのか!?」

先方の理屈からは間違っていませんが、当方の理屈からは大間違いです。

しこたま怒られて事務所に戻ると、社長、Tさん他の従業員が待っていました。

木曜日の夜ですから、みんなで楽しい会食の日です。

全員、私の帰りを待っていてくれました。

「何と言われてきたのだ?」

正直にありのまま話しました。

「そうか。お前はどう答えたんだ?」

正直にありのまま答えました。

「そうか。先方のうちの担当者を呼び出せ。」

「えっ!今からですか?」

うちの担当者を呼び出しました。私の大学の後輩です。

彼は、これまでの事情がまったく分からないので、「何事ですか?」と言って事務所に来ました。

「こらぁ~!!!!!!!! うちの者をよく怒ってくれたな!!!!!!」

と言って、手に持っているボールペンを机に叩きつけました。

無残にもボールペンが真っ二つに折れました。

事情が呑み込めない担当者は、ほうほうのていで事務所を出ていきました。

それから、何ごともなかったように食事会に繰り出しました。

ようやく、「身内」の一員になれたと感じました。

そりゃ社長から怒られることは山ほどありましたが、自分のためによその会社の人間を、しかもマジに怒るところを見せられたら、何としてでもこの会社の役に立とうと思います。

「身内意識」が良いのかどうかは分かりませんが、確実に“小さな会社”を強くする要素のひとつです。

 

 

 

 

 

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑩

◆強さの秘訣➀ 同じ釜の飯を喰う

 

個人的な思い出ばかりで申し訳ありませんでした💦

このブログのテーマである、“小さな会社”の強さの秘訣について。

 

社長は関西に住まいがあります。

月曜日から水曜日は大阪事務所にいます。

木曜日の朝に福岡に入り、一泊して金曜日の夜の飛行機で帰阪します。

番頭のTさんが毎回お供です。

木曜日の夜はホテルに泊まるだけですから、得意先との会食がなければ、必ず従業員と食事に出かけます。

毎週でした。毎週一回、木曜日の食事会。

18時スタートで夜中1時頃終了。ほぼ毎回でした。

さすがに女性陣は遠慮しますが、男性陣は基本的に全員参加。

強制ではありませんでしたが、みんな社長と話すことが楽しくて仕方ない感じでした。

よほど楽しい興味深い話かと思うでしょうが、毎回、ほぼ同じ話。

毎回、ほぼ同じ話を、みんなで「ほぉ~、そうなんですか」と相槌を打ち、社長は「そうじゃ。面白いじゃろ!」と満面の笑みでお酒が弾みます。

番頭格のTさんが一番大げさに、「ふぇ~~~、社長ぉ、めっちゃすごいじゃないですか!」と毎回同じ反応。

吉本新喜劇を見ているような心地よいマンネリ感。みんなの笑顔。

美味しい(社長は超グルメ)食事と、安心感ある毎度おなじみの話題。

おなじみのスナックでおなじみのカラオケ♪

1年52週、毎度、おなじみのイベントでした。

会社組織というよりも、〇〇一家という方がピッタリの感じでした。

大学を卒業して大企業に入り“小さな会社”に移る中で、会社組織って何だろう?と思うようになりました。

とりあえず社長になった会社(工場)も従業員15人の“小さな会社”でした。

この会社には、社長である私は月に1回から2回ほどしか顔を出せませんでしたが、その時耳に入るのは誰かの悪口でした。

久しぶりに来社した社長の耳に入るのが他の従業員の悪口というのもなかなか寂しいものがありました。

私が(名義上の)社長を引き受けてから5年後、主要取引先の廃業の波をもろに受けて倒産しかけました。

従業員の大半に辞めてもらい、現在、別の資本に買収されて何とか数名で事業を継続しています。

その工場には、私と同じ年の従業員がいました。

その彼にも辞めてもらいました。

彼から「あんたはいいよなぁ。引き続き親会社で働けるんだから…」

その時、私も親企業から解雇を言い渡されていました…。

 

社長と従業員。従業員同士。互いの関係…

そして、“強い会社”もあれば“弱い会社”もある。

会社の強さってなんだろう?

企業はヒト・モノ・カネと言われています。

大企業に居た頃は、何千人と従業員がいるわけで、ヒトと言われてもピンときませんでした。

20:60:20の比率で、人財:人材:人在がいると感じました。

なかには人罪もいました。

 

このブログの目的は、“小さな会社”が成長して社長と従業員が幸せになる方法を考えることでした。

「同じ釜の飯を喰う」ということが難しい世の中になっています。

若者は誘っても平気で断る時代です。

「突然言われても…前もって言って下さい」というご時世です。

しかし、「同じ釜の飯を喰う」ことは“小さな会社”を強くするための重要な要素だろ思います。

 

もう少し、私が体験した強い“小さな会社”の話にお付き合いのほど。

 

 

 

 

とても強い“小さな会社”のお話 ⑨

◆社長になれ!………えっ!マジ?

 

忙しいけど、充実度100%の毎日が続きました。

大手企業から“小さな会社”に転職し3ケ月でクビ!

2週間の失業の後に入った“小さな会社”で2年ほどが過ぎたある日。

いつものように、賃貸ビルを巡回していると、携帯電話に社長から電話が入りました。

「お前、ちょっと社長になってくれ」

😲😲😲😲😲

この会社に入って2年、大概のことでは驚かなくなっていました。

しかし、いくらなんでも、「社長になれ!」😲しかも携帯電話で。

「事情は今度博多に入った時に教えるから「名義だけだから気軽に考えろ!」

気軽って…💦

要するに、色んな大人の事情があって、誰か(文句を言いそうにない奴)に、とりあえず、名義上(要するに登記簿上)だけ社長に据える必要があったわけです。

Y顧問からは「よく考えて返事をしろよ。そんなに簡単な話じゃないぞ」とアドバイスを受けました。

その頃には、顧問の出勤日は週2回になっており、出勤日は物件を回りながらレクチャーを受け、終業後には近くのなじみの焼き鳥屋からなじみのスナックへ行って、なじみの演歌を歌うというルーティンになっていました。

「よく考えろと言われても…」

受けるしかないというあきらめよりも、「人生一度くらい社長になってみよ😙なかなか出来ない経験じゃん」と前向きに受けようと考えました。

しかし、今となって思います。

「社長なんか、絶対に絶対に絶対にやるもんじゃない!」

いくら大金を積まれても社長だけはこりごりです。

しかも、当時は全然大金は積まれませんでした。

とりあえず社長を受けた瞬間から、やることがいっぱい💦

取引銀行への挨拶、主要取引先への挨拶及び営業、業界団体への出席等々。

現地には責任者がいましたが、最初のうちは、何か大人の事情があるようで、私のことを敵視というか…奥歯にモノが挟まったような口調でした。

それから6年間、社長として月に1、2回ほど現地におもむく状態が続きましたが、そんな状態で経営がうまく行くわけなく、その会社を潰しかねない状態に陥り、その後、私自身が解雇される理由の一つになりました😢

貴重すぎる経験でした。