この本の”あとがき”を転載します。ちょっと長めですが…
「めったにないことだが、中学3年生から手紙をもらった。 大阪の中高一貫公立校の男子生徒で、卒業レポートを書くために私の著書を読み、「上級国民」「下級国民」の定義を教えてほしいのだという。
すこし考えて、次のような返事を書いた。
上級国民…知識社会・評判社会において、「自分らしく生きる」という特権を享受できるひとたち
下級国民…「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受けながら、そうできないひとたち
これがそのまま本書のコンセプトになった。
ちょうどその頃、20代のライターや編集者と話をする機会があった。
ニュースサイトのインタビューで「最近の若者たちは人生を〝無理ゲー〟のように感じているのではないか」と述べたのだが、興味深いことに、2人ともこの言葉が「刺さった」のだという。
私はゲームにはまったくの素人で、この表現はたまたま思いついただけだが、それに強いインパクトがあることを彼らから教えられた。
こうして、本書のタイトルが決まった。 (中略)
資本主義は、「自分らしく生きたい」「より幸せに(ゆたかに)なりたい」という〝夢〟を効率的にかなえる経済制度としてまたたくまに世界じゅうに広がった。
その資本主義がいま、ある種の機能不全を起こしているのは確かだろう。
だが資本主義を「脱却」したあとには(もしそのようなことができるとして)、より効率的に〝夢〟をかなえる未来がやってくるだけだ。
なぜなら、社会・経済制度がどのように変わろうとも、ヒトの脳に埋め込まれた「欲望」のプログラムは変わらないから。
わたしたちは、ものごころついてから死ぬまで、「自分らしく生きる」という呪縛にとらわれ、あがくほかないのだ。
本書で述べたのは、とてもシンプルなことだ。
あなたがいまの生活に満足しているとしたら素晴らしいことだが、その幸運は「自分らしく生きる」特権を奪われたひとたちの犠牲のうえに成り立っている。
ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちことで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。
これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。
「リベラル」を自称するひとたちには受け入れられがたいだろうが、リベラル化が引き起こした問題をリベラルな政策によって解決することはできない。
すべての”不都合な事実”は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。(中略)
それに加えて日本の若者たちは、人類史上未曽有の超高齢社会のなか、増えつづける高齢者を支えるという”罰ゲーム”を課せられ、さらには1世紀(100年)を超えるかもしれない自らの人生をまっとうしなければならない。
この状況で、「絶望するな」というのは難しいだろう。(中略)
わたしたちは、なんとかしてこの「残酷な世界」を生き延びていくほかはない。」
確かに面白く興味深い著作ではあったが、何とも暗すぎる予測だと思う。しかし、コロナ禍だけでなく、ウクライナでの残酷な状況を目の前に見ていると、確かに明るい未来はあまり見えてこない。
私たち大人は、このような状況であることを、若い方に伝えていかなければなりません。まずは我が社の中から。
私、”小さな会社”の活性化が明るい未来への一つの解答であると、マジに思っています。