6/21以来のブログです。
この間、関西物流展があり、ブログをお休みにしていました。
展示会も一段落しました。
そして我が社の強靭化計画に向けて個人面談がスタートしました。
その前に、私が自分自身で体験した会社・組織について簡単に触れます。
大学を卒業して入った会社はゼネコンでした。総合建設業です。
まったく希望した業種・会社ではありませんでした。(話が長くなるので…😅)
一部上場企業でした。入社当時の従業員数は7千人超でした。
入社した頃は、業界で7位とか8位とかのランクでした。
準大手と呼ばれていました。
私は20年前に転職してしまいましたが、今のランクは12位。
但し、10年ほど前に合併した上でのランクですから、かなりの凋落ぶりです。
20:60:20の法則通り、上位20%の従業員が会社を引っ張り、60%の従業員が「言われた通り」働き、20%の従業員が「役立たず」でした。(ちょっと言い過ぎです…😒)
強い会社か弱い会社か?
結果的に弱い会社だったようです。
45歳の時の転職は完全に失敗でした😢
常務で招かれた会社でしたが、まったくの役立たず、会社の足を引っ張ってばかりでした。
強い会社か弱い会社か?
強い会社でした。従業員はたった6人でしたが、超強い会社でした。
しかし、強いのはオーナー社長のみで、一人の役員以下全員が社長の指示した通りに、1ミリ違わず業務を行うことを要求されました。
要求というには優しい言葉過ぎます。
指示・指令・命令・厳命…さらにその上の「要求」が求められました。
大企業のぬるま湯の人間は、3ヶ月でクビを宣告されました。
ひと言も反論できませんでした。
3社目の企業も従業員10名の“小さな会社”でした。
2代目の社長さんの下、とびきり強い会社でした。
従業員の平均年収も高かったです。一部上場企業並みでした。
8年半の勤務の後、取締役を解任されてしまったのですが、感謝の気持ちこそあれ、恨みつらみは一切ありません。
では、この会社の強みは何だったのか?
先の会社のように1ミリ単位で指示を出すかと言えば、まるで反対でした。
「お前らでよく話し合って決めろ」が、ほぼ唯一の指示でした。
私より10歳下の男性社員が「番頭さん」でした。
彼が実質的にナンバー2で、若い(当時30歳台半ば)割には迫力があり、何よりも「地頭」が最高に良く、他人に対する配慮が抜群でした。
専門学校を出て、ある会社で働いていたところを、社長に気に入られて入社したそうです。
社長に対する「忠誠心」のかたまりのような社員でした。
この会社がなぜ強靭だったのか?
歴史のある会社でしたが、特許とか他の会社と比較しての優位性は特にありませんでした。
特徴的だったのは、社長と中心的な5人の従業員が常に一緒にいたということでした。
昼ごはんは必ず社長が引き連れて食べに行っていました。
毎週1回、夜、そのメンバーで「呑み会」がありました。毎週です。
私、残念ながら8年半でクビになってしまいましたが、その間400回はご一緒させてもらったことになります。
呑み会の話題はズバリ仕事の話です。毎回です。400回は聴きました。
酒場で込み入った話をするわけにはいきませんので、もっぱら社長の仕事に関する「考え方」を聴くことになりました。400回、ほぼ同じ話でした。
私たち参加者はいつの間にか、社長と同じような考え方になっていました。
そこで、仕事上、何か問題が発生しても、みんな社長と同じ考えで問題解決を検討し、社長に報告すると「よし、それで行け!」になりました。
不思議な会社でした。
それともう一点。
徹底した「報・連・相」が特徴的でした。
私、3ケ月でクビになった会社で、骨の髄まで「報・連・相」を叩き込まれたので、この会社ではその点は評価されました。
この会社をクビになった原因は、今考えてみれば、その後甘えが発生して「報・連・相」を怠るようになったからでした。
“小さな会社”が強靭であるための要件は、
- 社長の考え方を徹底的に浸透させること
- 徹底的に報・連・相を行わせること
まずはこの2点にありそうです