コンテナスロープ/バンステージ/バンニング

コンテナスロープのインターアクション

とても強い“小さな会社”のお話 ⑱

◆強い会社の秘訣~番頭さんの存在

 

長々と個人的な思い出を綴ってきました。

色々なことを思い出しました。

2010年の11月に社長から「辞めてくれ」と言われて12年が経ちました。

正直言って感謝の気持ちしかありません。

今、こうしてインターアクションという“小さな会社”が成長している経過を、社長と従業員と一緒に体験できるめったにない機会を得ることができました。

私が8年間在籍した、このとんでもない強い“小さな会社”での経験を何とか活かすことができればと願っています。

また、ハローワークで1年間事業所支援部門という部署で働きました。

他の担当者が多数の求人票をもらうために大手企業を訪問していたのを尻目にひたすら“小さな会社”を訪問し、社長さんと直に話す機会を得るようにしました。

その経験も含めて、御用納めまでの3日間、強い会社の「秘訣(条件)」をお伝えできればと思います。

 

その筆頭が「番頭さん」の存在です。

“小さな会社”の社長は、スーパーマンです。

とても仕事ができます。会社のことを誰よりも知っています。当たり前です。

スーパーマンの立場で従業員の働きぶりを見ていると、まどろこしくて耐えれません。

ついつい指摘してしまいます。当然です。でないと会社が損失を蒙ります。

従業員はいつのまにか、指摘を受けることを前提として作業をします。

しかし、社長は「自分で考え、自分で判断できる(しかも自分で責任もとれる)」従業員を期待します。

最初の転職先の“小さな会社”の社長は、徹底的に自らの指示通りに動くことを期待していました。

ハナから従業員の主体性も自主性も期待していませんでした。

1mm単位で自らの指示通りに動くことを期待(強制?)しました。

動かなければ、大げさでなく死ぬほど怒られました。

もちろん従業員は次から次に辞めていきました。

 

次の“小さな会社”では、私が在職した頃は、社長は実務の細部についてほとんど立ち入りませんでした。

社長なりの理屈としては「オレは天才だから、お前たちにはオレほどの仕事ぶりはアタマから望まない。まあ、頑張って働けや😙」と言っていました。

冗談半分だったのでしょうが、若い頃はかなり「口出し」したそうです。

自分自身も仕事を覚える必要があったのでしょう。

しかも、頭脳明晰な方でしたので、仕事が分かり過ぎたのでしょう。

何故それをやめたのか?

「番頭さん」の存在があったからです。

番頭のTさんは、驚くほどの地頭の良い人で、業務がうまくいっているのか、どこかで停滞しているのかをよく見抜きました。

社長にとってはリトマス試験紙みたいなもので、Tさんを通じて社内を把握していました。

Tさんは明石家さんま横山やすしの両面をもっており、そのため人間関係作りが最高に上手で、従業員はほとんど辞めませんでした。

Tさんは20歳の時から社長に仕えています。

ある不動産デベロッパーで“いきがって”いたのを、社長が面白がって引き抜いたそうです。

Tさんはこの会社に出会わなければ、今の三分の一くらいの年収で不動産屋で働いていたでしょう。

見抜く方も見抜かれる方もなかなかです。

このTさんというフィルターを一枚備えているので社長のストレスがかなり減ります。

怒りたい時はTさんめがけて死ぬほど怒っていました。

Tさんは神妙な顔で叱られていますが、恐らく気持ち的にはケロッとしていたはずです。何しろ明石家さんまですから😙

“小さな会社”の社長の一番の仕事を「番頭さん」を育てることかもしれません。

その方法は?

これぞと見込んだ従業員を徹底的にエコひいきすることです。

番頭として育てる気持ちで育成することです。

見込みが外れたら……。仕方ありません。自らの見抜く力が無かったとあきらめるしかないです。