今の世の中はどんな時代なのでしょうか?
この著書では、
現代社会はリベラルな価値観が蔓延している社会”と言えるのではないか?と説いています。
リベラルな価値観とは、「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが〝自分らしく生きられる〟社会を目指すべきだ」という価値観です。
「自分らしく」と聞けば、なんとなくプラスのことのように感じるのではないでしょうか。
キャリコン資格の取得のために、国のキャリア教育に関する方針も学びました。
「自分のやりたい仕事を目指そう!」
「自分の強みを発揮できる仕事を探そう!」
「将来に目標をもって、目標を目指してキャリア形成していこう」
などです。
「そうか!自分の人生は自分で決められるんだ!」
「親とか先生とか“大人”に決められなくても、自分で決めればいいんだ!」
何か、とても魅力的な“お誘い”です。
よし!決めるぜ!
…………う~ん💦、何がやりたいんだろう?僕の、私の強みは何?
そうだ、キャリコンさんに訊こう。
自己理解☞仕事理解……。う~ん💦何かいまいち分からない…😢
適性検査☞職場体験……。う~ん💦もっと分からなくなっちゃった😢
僕/私、一体何がしたいんだろう?
“大人”からは、
「さあ、やりたい仕事は決まりましたか?」
「あなたの目標(夢)はなんですか?」
…さあ、さあ、さあ、さあ、さあ!
でも、周りの“大人”を見ても、やりたいこと、自分の強みに目を輝かせて取り組んでいる人は少ないじゃん。
この本では、「自分の人生は自分で決める」には副作用があると説いています。
こういったリベラルの価値観には副作用がありました。
それは人を「孤独」にするということです。
「自分の人生は自分で決める」が当たり前になると、当然人はそれぞれ自分の思い思いの選択をするようになります。
会社は、一度就職すれば終身雇用というわけではなく、転職を前提としたキャリアプランを考えるようになります。
つまり、「個人、中間共同体、国家」という3つの単位の中で、地域や会社といった「中間共同体」がバラバラに解体されていき、力を失っていくのです。
仲間による助け合いが消滅、人は「孤独」になります。
その結果どうなるのでしょうか。
才能と能力の時代の到来です。
個人の力で自由市場で勝てる人は、自由になった分、「自分で自分の人生を決める」ということを謳歌できるようになります。
一方、個人の力で市場で勝てない人は、たとえ悲惨な目にあったとしても、「自己責任」として、その結果と自分の境遇を自分一人で引き受けなければなりません。
この二極化は様々な側面で現れています。
例えば、経済です。
稼ぐ力がある人はリモートで世界とつながって、いくつもの仕事を同時並行で進めている一方、これまで会社に保護されていた中間所得層は所得が伸び悩み、人によっては職を失うことになっています。
このように、リベラルな社会でリベラルに生きられないのは非常につらいことなのです。
余談ですが、「個人」の社会でこそ、目的を持って「チーム」を作ることで有利に勝ち残れると主張したのが京都大学客員准教授で投資家だった瀧本哲史氏です。
(以上、「東京ワタコレ読書会」HPによる)
この「チーム」こそ“小さな会社”なのではないか?
私、そのように、考え始めています。