コンテナスロープ/バンステージ/バンニング

コンテナスロープのインターアクション

とても強い“小さな会社”のお話 ⑤

◆鬼のY顧問

 

福岡支店に移って優雅な単身赴任。いわゆる博チョンと言うやつです。

事務所は博多駅前です。回りは呑み屋だらけ。

単身赴任寮は天神です。回りは呑み屋だらけ。

天下有数の歓楽街の中州まで10分かかりません。

なんと優雅な独身暮らし…😙

と思っていましたが、Y顧問の登場によって優雅さは大幅に縮小されました。

 

この方、取引先の銀行の紹介で顧問になりました。

高卒でありながら、その銀行で珍しく支店長にまで出世しました。

しかし、恐らく、その厳しすぎる性格の故か?

50歳台半ばで片道切符で出向になりました。

出向先は不動産賃貸業が主要な業種でした。

Yさんは、まるで素人。

人一倍、動き回り、働き回り、さらに勉強しまくりました。

ビル管理の要諦は「掃除」にあり。

作業服姿でモップを抱え中州を歩き回っていました。

かつての取引先の社長さんと会うこともありました。

支店長時代はYさんが接待を受けて、床柱を背にしていました。

普通ならば「カッコ悪い😢」と思うところが、Yさんは「わっはっは😙動き回るから元気じゃ!」と言っていたそうです。

しかし、多分、また、その厳しい性格ゆえに定年とともに“お役御免”となりました。

遊んでいたところを「取引先の会社が一気に40棟のビルを所有して四苦八苦しています。なんとか指導してもらえませんか?」とのお声がかかりました。

一方我が社側には「ひとり、ビル管理のプロがいるのですが…」とメインバンクから。

社長は「ほう。有り難いなぁ」

「しかし、何というか、その、あの、性格的に偏屈なところがあって、なかなか大変ですが…💦」

社長「かまわん、かまわん、そのくらいの人の方が有り難い😚」

そこで、顧問としてお招きしたところ、「そのくらい」をはるかに超える厳しさでした💦

このビル賃貸業のために採用されたのが、半年前に入ったSさんでしたが、何しろY顧問の厳しさに耐えがたく、色々理由をつけては逃げ回っていました。

そのこともあり、大阪で「遊んでいた」私に白羽の矢が立ったわけです。

社長は私に「Y顧問のスキルを全部奪い取ってしまえ!」と指示しました。

初めてY顧問に会った時、そのまま素直に伝えました。

「社長から、Y顧問のスキルを全部奪い取ってしまうようにと命令されました」

Y顧問は「なにぃ!俺のスキルを全部奪い取れだとぉ🤬…よ~し、奪えるもんなら奪ってみろ!」

こうして、賃貸ビル管理Y学校がスタートしました。

 

最高の先生で、最高の講義内容でした😚