AとBという二つの選択肢があった場合、どちらかを選ぶに当たって、何か基準があるのでしょうか?
【社長の見方】
AとBのどちらを選ぶかという選択を求められた場合、最終的にその基準となるのは社長の「勘」しかありません。
社長が「これだ!」と思ったものが正しい判断なのです。
どんなに状況がよくなくても、社長が「イケる!」と判断すればうまくいくものですし、社長が一抹の不安を抱えれば、その判断の結果はうまくいかないものです。
多くの社長の行動は、判断時の「勘」に基づくものが多いように思えます。
こればかりは絶対法則や絶対理論はなさそうです。
物事の局面でどう判断しどう行動するか、これこそが「経営」です。
社内ルールなどと違い、経営判断に絶対はありません。
だからこそ、社長は常日頃から、今の状態で最高の結果を生む判断をするための努力をしなければなりません。
それが勉強であれば勉強をし、経験であれば経験を積むべきです。
社長の行動、生活、そして人生そのものが、経営の判断につながるはずです。
【社員の見方】
社長に比べて社員は楽です。
最終判断は、すべて社長に委ねればいいわけですから。
そういえば、会社に入ってから、何ごとも判断したことがないなぁ…。
もちろん、あらゆる判断は社長に相談してから決めるように厳しく言われている。
しかし、何でもかんでも社長に判断してもらおうとすると、それはそれで「少しは自分で考えろ!」と怒られてしまう。
どこまで自分で判断していいのかなぁ?
【キャリコンの見方】
大きな会社にいた頃の話です。
稟議書や事案書というものがありました。
「このようにしたいです!」という内容の書類です。
めちゃいっぱい上司の印鑑が必要でした。
重要な案件では、本店の役員の印鑑をもらわなければなりませんでした。
これがまた誰からもらうとか、ど~でもいいことに対する「配慮」が必要でした。
「なんで私より彼に先に印鑑をもらったんだ!」と叱られたことがあります。
(だって、あんた、さっきまで居なかったじゃん😢)
「内容には反対だから、横向きに捺印するぞ」という冗談か本気か分からないようなことも経験しました。
まあ、要するに、誰も最終判断をしたくないのでしょうね。
社長すら同じです。
よほどの「名君」でない限り、自分で判断するなんてありえないですね。
その点“小さな会社”の社長は、日々、最終判断を求められます。大変です。
話が変わりますが、いわゆる名社長・名経営者と呼ばれる方々の中には、信仰心が篤い方が多いように感じられます。
京セラの稲盛氏が亡くなった時の、日経ビジネスの記事を引用します。
“「経営の神様」と呼ばれた事業家がまた一人逝った。京セラ創業者の稲盛和夫氏が8月24日、老衰のため鬼籍に入った。「神様」と呼ばれただけあって、稲盛氏は「元祖・経営の神様」であるパナソニックホールディングス創業者の松下幸之助氏と同じように、どこか神がかり的な雰囲気をまとっていた。
実際、生前は2人とも精神世界に傾倒していた。稲盛氏が僧籍を持つほど仏教に入れ込む一方、幸之助氏はどの宗教宗派にも帰依せず、独自の信仰を実践した。そして両者ともに、人知を超えた「宇宙の意志」を信じていた。”
ひと言で「神頼み」と済ませてはいけないような気がします。
あらゆることに最終判断を求められる社長にとって、一番大切なのは自分の判断力ですね。
そのためには自分と向き合う「時間」が大切だと思います。
(会社を潰しかけた私が言うのもなんですが…😅)
日々、忙しい毎日、様々な最終判断を求められる社長にとって、時々、時間を取って神仏に向き合う時間を取るのも、大切な「業務」なのかもしれません。
最終判断って、結局は社長の勘(=運)ですから。